【Vol.5】古川美和子編集長(前編)

古川 美和子(こがわ みわこ)

古川 美和子(こがわ みわこ)

【スポーツ誌編集長】

日本文化出版株式会社勤務。『月刊バレーボール』編集部編集長。東京都板橋区出身。幼少期からバレーボールを始め、中高時代はレフトのエースとして活躍。高校時代には高校生バレーボール日本一を決める春高バレーに出場経験もある。東京学芸大学卒業後は雑誌編集者になるべく日本文化出版株式会社の門を叩き、以来、月刊バレーボール編集部一筋に働き、雑誌作りにバレーボールマニアぶりをいかんなく発揮する日々。昨年5月から編集長に就任した。

雑誌作りのすべてに関わってこだわれるのが編集者の魅力

雑誌作りのすべてに関わってこだわれるのが編集者の魅力

アスリートたちに日々寄り添いながら、その心の奥底の声をしっかり受け止め、力のある言葉や写真の数々を丁寧に誌面に落とし込んで読者に届ける――。それが雑誌編集者という職業です。

「ゼロから企画を立ち上げて、愛情を込めて作って、その後は自分で宣伝することで周りに広げてもらうことができる。一冊の制作過程にまるまる関わってこだわりを発揮できるのが雑誌編集者という仕事の大きな魅力だと思います。もしかすると一見華やかに見える業界かもしれません。ただ、その裏では大変な苦労もあります(笑)。それでも毎月、一冊できあがったときの喜びは何ものにも変えることはできません」

そう話すのは、バレーボール専門誌である『月刊バレーボール』編集長の古川美和子さんです。古川さんはバレーボールを始めた小学4年生の頃から、ほのかに雑誌編集者の仕事に憧れを抱いていたといいます。

「私が小学生だった1985年には現在、全日本女子チームの眞鍋監督も出場されたワールドカップが日本で開催される大ブームになるなど、とてもバレーボールが盛んな時期でした。私も休み時間は、当時のスター選手の真似をして遊ぶ“川合俊一ごっこ”をしたり(笑)。当時はバレー選手として将来を夢見ていましたが、同時に、雑誌編集者への漠然とした憧れもありました。当時から『月刊バレーボール』は私の愛読書で、雑誌の後ろのページにある編集後記まで隅から隅まで読破する、言ってみればバレーボールマニアでしたね(笑)」

人生そんなに甘くないと思い知らされた出来事

人生そんなに甘くないと思い知らされた出来事

当時、バレーボールに励む現役部活生として順調に成長していた古川さんは、高校進学時にバレーボールの高校生日本一を決める大会として有名な『春高バレー』で優勝するほどの順心女子学園高校(東京都)のバレー部に加入することを決意します。

「でも、すごく練習が大変で……。いま記憶を辿ってみても苦しい思い出しかないんですよね(笑)」

二度と忘れることができない一番の悔しい思い出は、高校2年生で出場した春高バレーの東京都予選。東京都には3つの全国大会出場枠が設けられていましたが、古川さんが活躍していた順心女子高は4位に。あと一歩で春高バレー出場を逃してしまいます。

「あのときは本当に信じられなくて…。すごく苦しい練習もこなしてきたし、当然自分たちは3位以内に入れると思っていたんです。私自身、高校1年生のときにも先輩たちと一緒に春高バレーの舞台を経験させてもらいました。そのときの会場には春高バレーのキャラクターの“バボちゃん”のぬいぐるみが売っていて、でも、私は『来年もここに来るから買わないでもいいかな』と。生意気な選手ですよね(笑)。

ところが高校2年生のときには出場できなかった。でもどこかに慢心があったんでしょうね。人生そんなに甘くない、やるべきときにやるべきことを最大限にやっておかないと後悔するんだぞと、思い知らされた出来事でした」

大人になって気づいたかけがえのない部活生時代

大人になって気づいたかけがえのない部活生時代

春高バレー出場を逃した苦い経験は、古川さんの大きなトラウマとなり、高校の部活引退後、しばらくはバレーボールから逃げるように距離を置いてしまったそうです。それでも、東京学芸大学に進学したあとも、高校時代の先輩との縁もあってバレーボール部で汗を流していた古川さん。卒業生の多くが教員になる大学ということもあり、古川さんも漠然と将来は教壇に立つ姿を思い浮かべるような学生生活を送っていました。が、いざ就職活動をする段となって、古川さんにはある思いが芽生えていました。

「どう説明すればいいのでしょうね……。不思議なことに心の奥底から沸き上がる感情がありました。そうだよなぁ、小さい頃は『月刊バレーボール』の編集者になりたいと夢見ていたんだよなぁと。文章を書くことも好きでした。また、当時大学のバレーボール部の先生(吉田敏明 現・上尾メディックス監督)の指導がとても理論的で面白くて、自分のなかにあったバレーボールを見直したところがありました。

やみくもに練習や試合をこなすだけではなく、頭を使ってバレーをすることを教えて頂き、バレーボールの面白さをもっとたくさんの人に伝えたいなと思ったんです」  

もともとは雑誌を読み漁るほどの大のバレーボールマニア。古川さんの心の奥底に眠っていたバレーボールへの熱い思いは、『月刊バレーボール』編集部の門を叩かせるほど確かなものでした。いまとなっては部活生時代の仲間たちに「夢が叶ってよかったね」という話をされるという古川さん。

「改めて部活生時代を思い出すと、やはり苦しい思い出の方が多いのですが(笑)、でも、かけがえのない時間だったなとも思うんです。私が通っていた順心女子高は体育館が広くなくて、一度に練習できる人数も限られていました。それでもレギュラーの選手たちをサポートとしようと、球拾いをしたり、がんばれ! などと声をかけて励ましてくれたりする仲間たちがいました。情熱を傾けるものがあることの素晴らしさ。一生懸命になることの大切さというのは、大人になった今だからこそ気づくものですが、自分の人生において貴重な時期だったと思えるんです」

バレーボールへの熱い思いを抱いて雑誌編集者となった古川さん。その仕事の魅力や醍醐味とは。後編に続きます。

企画・株式会社イースリー 文・鈴木康浩 写真・平間喬
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