【Vol.15】スポーツアパレルメーカー社員 芝原夏奈さん(前編)

芝原 夏奈(しばはら かな)

芝原 夏奈(しばはら かな)

【アパレルメーカー社員】

女子フットサル元日本代表、現カフリンガBOYS東久留米所属。宮城県仙台市出身。女子サッカーの強豪校である聖和学園高校で全国制覇。早稲田大学でも女子サッカー日本一に輝いた。フットサルの女子日本代表の主将としてもアジアインドアゲームズで大会3連覇に貢献。現在はフットサルを続けながら、株式会社VOLUME(現SVOLME)営業チームの一員としてサッカーやフットサルの普及に務める。

気づいたときにはサッカー大好き少女に

気づいたときにはサッカー大好き少女に

なでしこジャパンの活躍によって世間の注目を集めるスポーツになった女子サッカー。まだマイナースポーツだった頃から、サッカーで中高時代を走り抜けてきた一人の女性がいます。

元フットサル女子日本代表で、現在はカフリンガBOYS東久留米のフットサルの選手として活躍しながら、サッカーのアパレル・アイテムブランド“svolme”を展開する株式会社VOLUME(現SVOLME)に勤務する芝原夏奈さんです。

「4つ上の兄がサッカー少年団に入っていて、両親に連れられてグラウンドに遊びに行っていたのがきっかけです。自然とボールを蹴るようになって、気づいたときにはサッカーが好きになっていました。小学校1年生のときに、通っていた小学校の校長先生が主宰していたサッカースクールがあって、そこで本格的にサッカーを始めることになったんです」

それからサッカーに釘づけになり、現在は競技をフットサルに変えてプレーを続けている芝原さん。彼女はサッカーやフットサルとともに成長し、人生を切り開いてきました。  というのも、芝原さんは自分自身のことを「人見知りもするし、周りとコミュニケーションをとるのが苦手な子どもでした」というほど、もともとは引っ込み思案タイプ。彼女のお母さんがその性格を案じてか、子どもの頃から色々な行事に参加するように促してくれたそうです。

刺激になった宮間あや選手との出会い

刺激になった宮間あや選手との出会い

転機が訪れたのは小学校5年生のときでした。

「当時、ある銀行が主宰しているディズニージュニアカップという大会があって、その大会に参加すると日本やアメリカのディズニーランドのチケットが付いてくる、というものでした。私はディズニーランド目当てに大会に応募をしたのですが(笑)、そこで現在なでしこジャパンで活躍する宮間あや選手と一緒になりました。彼女は同級生だったこともあって、遠征したアメリカのサンディエゴでもずっと一緒に過ごしたのですが、

彼女は当時から『将来は五輪に出場したい』と話すなど非常に意識の高い選手ですごく刺激になりました。自宅にも遊びに行ったことがあるのですが、自宅の前の空き地を『国立競技場〜!』と呼びながらボールを蹴っていたのを覚えていますね」

中学生になると女子がサッカーをする環境は整備されておらず、一度はテニス部に入部し、一方で、小学1年生から続けている女子のサッカーチームでボールを蹴っていたという芝原さん。そんな芝原さんに男子のサッカー部が声がかかります。中学2年生のときには女子では一人だけ男子のサッカー部に混じってサッカーに励んでいたそうです。そして高校では地元の仙台では強豪校として知られる聖和学園高校へ進学。

「この頃には高いレベルの環境でプレーしたいと思っていたので、当時全国大会で優勝をしていた聖和学園のサッカー部に入ったのですが、入部した当初、すごく緊張感があったのを覚えていますね。雰囲気がとてもピリピリしていました。聖和学園はグラウンドが狭いなかで工夫をして練習をしていたので、ミスをした選手はグラウンドの外周を走る、という独特の決め事があり、“練習をしたいからミスをしないように努力する”という緊張感が常にありました。そのような環境でトレーニングできたことがすごく自分自身の成長のために大きかったと思います」

日本代表メンバーからの落選で自分を変えた

日本代表メンバーからの落選で自分を変えた

そして高校1年生のとき、芝原さんは女子サッカーで当時創設されたばかりの16歳以下のサッカー女子日本代表選手に選出されます。その後17歳以下の日本代表の候補にも選出されましたが、当時の監督に面談でこう告げられ壁にぶつかります。

「もっと周りとコミュニケーションをとってプレーしないといい選手にはなれないよ」  子どもの頃から黙々とプレーをしてチームに貢献するタイプだった芝原さんでしたが、「招集されて短期間でチームメイトと息を合わせなければいけない日本代表という環境では、しっかりと意思の疎通を交わさないと通用しない」と当時の監督から指摘されたのです。そして、17歳以下の日本代表のメンバーから落選。

「そこで初めて悔しい思いをして、自分は変わらないといけないと思ったんです。その当時の17歳以下の日本代表には、いま、なでしこジャパンで活躍する大野忍選手や近賀ゆかり選手といったメンバーも参加していて、すごくレベルが高かったのを覚えています。そういう環境でプレーをするには自分が変わらないといけないと痛感しました。そう思えたのも代表という環境に身を置いたからこそ。」

「それからは、普段高校でトレーニングをするときも、さらに緊張感を持ちながら、一日の意識レベルを高く保つようになりましたね。日本代表に集まってくる選手たちは普段から高い意識でプレーしていると思うと自分も負けてはいられない、自然とそういう考え方になっていったんです」

高い意識が必要とされる環境に身を置いたことで、どんどん自分が変わっていったという芝原さん。その意識の高さは、その後の大学選びや、仕事選び、そして、フットサルの日本代表選手としての道へも通じていきます。その詳細は後編に続きます。

企画・株式会社イースリー 文・杜乃伍真 写真・平間喬

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