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Vol.21 スポーツドクター 林 光俊 先生(前編)

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中学生のときからバレーボール一筋



まだ日本に『スポーツ医学』という言葉が浸透していない時代から、医学とスポーツが関わる分野について探求を深め、現在は第一線のスポーツの現場で活躍する一人のドクターがいます。



「ケガをした選手たちが再びコートに立って、復活した姿を見るときが一番の喜びであり、涙が出る瞬間です。それがスポーツドクターという仕事の醍醐味だと思います」



そう話すのは、杏林大学病院整形外科の医学博士であり、全日本男子バレーボールチームのスポーツドクターとしても活躍する林光俊先生です。

林さんが子どもの頃から寄り添ってきたスポーツはバレーボール。中学、高校、大学、そして社会人になっても長く勤しんできた、林さんにとって掛け替えのないスポーツです。

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「小学生のときは陸上競技などにも励んでいたのですが、体育館でバレーボールの選手たちが練習する様子を見たときに『いいなあ』と感じたのがきっかけですね。陸上のような個人競技は本人の調子の良し悪しがすべてですが、団体競技は、自分の調子が悪くても周りがカバーしてくれたり、逆に自分自身の調子が良ければチームの力になれたりする。そこに団体スポーツの魅力を感じましたし、団体での生活が性に合っていたと思います」



林さんがバレーボールを始めたのは中学1年生のとき。憧れだった団体スポーツの一員になった矢先、その後の人生の進路を決めるうえで大きなきっかけになった出来事があります。



「中学入学当初からバレーボールに没頭していたのですが、練習は本当に厳しいものでした。バレーボール部では練習でミスをした分だけ、コートの外周をうさぎ跳びするという指導があり、長いときには1キロほどの距離をうさぎ跳びしなければいけなかったのです。



うさぎ跳びというのは、短期的に太ももの筋力を上げる効果がある一方、短期間で膝を痛めてしまう可能性も非常に高いので、現在のスポーツ界では禁句となっています。当時はそれを言われるがままやるほかなく、私は二カ月ほどで膝を痛めてしまい、練習を休まざるを得なくなりました。今は医学的見地から言えることですが、中高生の時期は身体がまだ弱いので、同じ箇所を酷使するとすぐにオーバーユースとなり、ケガの原因になる要素が蓄積していき、オスグッド病などのケガが発生する可能性が高くなります。この場合、部活生は痛いけれど何とかプレーしようとし、指導者から見ると選手のケガが表面化するまでわかりにくく、手を抜いてプレーしているように見えてしまう。とっても厄介なケガなんです」



スポーツ医学の勉強がしたい



ケガとの付き合いをやむなくされた中学時代。林さんにとって、このときの経験がその後の進路に大きな影響を与えることになります。その後、高校受験では医師を目指し、見事大学に合格。大学時代に国家試験も突破し、医師としての人生を歩み始めた頃のことでした。大学院の面接を受けたとき、林さんの心は決まっていました。



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「面接の審査官に『スポーツ医学を勉強したいんです』と発言した覚えがあります。そのとき、その審査官二人に『スポーツ医学とは何ですか?』と聞かれて、私は『わかりませんが、言葉の響きがいいので……』と答えた記憶があります(笑)。まだ世の中に“スポーツ医学”なる言葉も浸透していない時代でした。ただ、そのときの審査官だった教授がずっと覚えていてくれて、その後の私の研究は、スポーツに関与した医学の調査研究がテーマになったのです。たとえば、スポーツ選手が運動中にアキレス腱を切ってしまうのはよくあるケースですが、重症度の高いアキレス腱の断裂を手術をせずに直すこと、それが私のテーマでした」








研究を続ける傍ら、林さんは一人の選手としても可能な範囲でバレーボールを続けていました。それもまた次のステップに繋がる大きなきっかけづくりを果たしていたのです。



「私が大学生だった当時のバレーボール部の監督が、日本バレーボール協会の仕事のお手伝いをされている方でした。私が医者になった後に、その方から『全日本男子バレーボールチームの仕事を手伝ってくれないか?』というお話を頂きました。私自身はとても運が良かったと思うし、非常に光栄なお話だったので、ぜひということでお引き受けさせていただいたんです」



それが全日本男子バレーボールチームに帯同するスポーツドクターとしての仕事でした。林さんは、のちに1992年のバルセロナ五輪に出場を果たす全日本男子バレーボールチームに予選から帯同して以来、現在まで、その間6大会の五輪予選や五輪本大会も含めて計25年間、チームのスポーツドクターとして活躍を続けています。

では、そのスポーツドクターの仕事とは。魅力とは。後編へと続きます。






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【プロフィール】

林 光俊(はやし みつとし)

杏林大学病院整形外科(医学博士)。整形外科医としてスポーツ外来を担当する傍ら、スポーツドクターとしてスポーツ現場でトップアスリートの傷害治療と予防、リハビリ、コンディション調整を行う。1989年より全日本男子バレーボールのチームドクターを担当して以来25年間にわたり選手のメディカルサポートを行ってきた。オリンピックはバルセロナ大会、北京大会に帯同し、2012年のロンドン大会は自身のオリンピック6度目の挑戦。







企画・株式会社イースリー 文・杜乃伍真 写真・平間喬



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