【Vol.7】サッカー代理人・西塚定人 さん(前編)

西塚 定人(にしづか さだと)

西塚 定人(にしづか さだと)

【サッカー代理人】

株式会社スポーツコンサルティングジャパン勤務。東京都出身。幼少期からサッカーを始め、小学5年生のときからゴールキーパー一筋。浦和レッズなどでプレーしたあと、横浜Fマリノスでマネージャーとして勤務。その後独立し、現在の会社を立ち上げて代理人業務をスタートさせた。現在は中村俊輔選手はじめ現役日本代表選手らも含めて20人ほどのトップアスリートと契約する会社に成長。選手たちの心身のケアをもっとも大事にする代理人業務を会社のコンセプトに掲げている。

代理人とは選手の力を100%発揮できるためのサポート役でもある

代理人とは選手の力を100%発揮できるためのサポート役でもある

ブラジルワールドカップでの結果は伴いませんでしたが、勇ましく戦った我らが日本代表。現在、その選手たちの半数以上が海外でプレーしていますが、彼らの移籍交渉や身辺周りのサポートをしているのがサッカーの代理人という職業です。

「代理人の業務にもいろいろな形態があって、海外の代理人はすごくドライ。クラブとの年俸交渉をして終わりというのがほとんどです。でも日本人選手にそれは感覚的に向かないと思うので、移籍したあとも生活のケアなどさまざまなフォローが大事だと考えているんです。選手にはピッチでのプレーに100%集中できる環境を提供してあげたいんです」

そう語るのは、株式会社スポーツコンサルティングジャパンで代理人として活躍する、西塚定人さんです。

西塚さんは浦和レッズでプレーしたあと、横浜Fマリノスで選手たちを身近な立場からサポートするマネージャーとして勤務。その経験がのちにサッカー代理人という仕事に結びつくきっかけになったといいます。西塚さんの人生を切り開くことになるサッカーとの出会いは小学生のときでした。

「身体が大きくて運動神経も良いほうだったので、小学5年生のときにゴールキーパーになりました。本音を言うと始めは活躍する場面も少なく面白さを感じてはいなかったのですが、失点を防いで勝つ喜びに目覚めるとはまっていきましたね」

大会期間中も受験勉強をする徹底的な文武両道から養われたもの

大会期間中も受験勉強をする徹底的な文武両道から養われたもの

西塚さんは小学校から高校まで東京都の暁星学園に通っていました。フランスの宣教師によって創設された学校ということもあり、授業には当たり前のようにサッカーが組み込まれるという環境。そこで西塚さんは中学で全国大会に出場。高校では1年生のときに全国3位、インターハイは3年連続で出場、高校3年生のときには高校サッカー選手権で全国ベスト8という成績を残していきます。

「暁星はグラウンドが狭くて、練習はフットサルのような狭いスペースを生かしたものばかり。だから短いパスをつないで相手を崩すようなサッカーが浸透していました。小中高一貫してチーム方針、メンバーの多くが一緒というメリットもあり、誰が出てもサッカーが変わらない強みもありました。今になって思うと、これは日本サッカーの課題の一つですが、アンダー世代からA代表まで一貫したスタイルでプレーする意味の大きさを、あのとき身を持って体感できたのだと思います。

当時の僕はというと、ずっと最後方のゴールキーパーでも足元がうまい選手でした。今の時代のゴールキーパーに求められるスキルを身につけていたという意味では、うちの会社と契約している西川周作のようなプレースタイルでしょうか。ちょっと言いすぎかもしれませんが(笑)」

暁星といえば、屈指の進学校としても有名です。西塚さんが所属していたサッカー部では現役で東京大学に合格するような選手もいたといいます。

「進学率は99%。僕はサッカー部の好成績のおかげで大学は推薦で決まっていましたが、僕らの代は医学部の受験組が10人中4人もいました。だから、高校3年生の冬に出場した高校サッカー選手権では、宿舎は大部屋ではなくてビジネスホテルの一人部屋。そこで元旦も受験勉強をしながら大会も戦っていたんです。指導していた監督が勉強に厳しく、文武両道が徹底されていました。『勉強をしないやつはサッカーをやらなくていい』と。

ただ、振り返ったときに思うのは、勉強しなくていい環境であれば人間は勉強しないということ。サッカー部でもクラスで一番の成績をとっていた選手もいるし、僕も自然と休み時間、空き時間はもちろん、自宅に帰ってからは朝起きて頭が冴えている状態で勉強するようにしたり、いかに効率よく勉強できるかを考える習慣が身についていきました。あの頃は、サッカーを通じて社会を生き抜いていく力を身に付けるとか、感謝の気持ちを持つとか、人間として最低限必要なことを学んだ時期でしたね。それが今になってすごく活きていると思います」

サッカーで出会った人と人とのつながりがすべて

サッカーで出会った人と人とのつながりがすべて

その後は、当時強化を図っていた青山学院大学のサッカー部でプレーを続けた西塚さん。この頃から西塚さんのサッカーにまつわる運命の糸がその後の人生を方向付けていきます。西塚さんが大学2年生のときにJリーグが開幕。当時、青山学院大学のサッカー部の監督は、浦和レッズの広報担当。西塚さんに「浦和でプレーしないか?」と声がかかります。

「浦和レッズでプレーしてみたものの、全然プロは次元が違うんですよ。これはダメだと。それで大学に戻ってみると、ちょうど監督が不在になってしまって『このチームのコーチをやってくれ』と言われたんです。え? 僕、引退ですか? と一瞬思ったのですが(笑)、ふと選手のサポート側に回るのもいいなと思ったんですね。それで練習メニューを決めて、合宿の手配をして、Jリーグのクラブと練習試合を組むといった、マネージャー業務もこなすようになりました」

西塚さんは大学卒業を控えたあるとき、横浜Fマリノスのマネージャー職に空きが出たことを知ります。話を聞きにいくと、そこには当時の浦和レッズの監督が。「お、君か」。そんな反応とともに西塚さんの就職があっという間に決まりました。

「ものの5秒で就職が決まりました(笑)。僕の場合、サッカーで出会った人と人とのつながりがすべてです。サッカーで色々な経験をさせてもらったことに感謝していますし、だからこそ、サッカーで挑戦を続ける選手たちをサポートするのもいいなと思うようになっていたんです。プロとはあまりにもレベルが違い過ぎて、現役には何も未練がなかったことも功を奏したのかもしれませんね(笑)」

横浜Fマリノスのマネージャーを4年間務めた西塚さんは、その後、選手たちの海外移籍などをサポートする代理人の道へとキャリアを切り開いていきます。

サッカーの代理人の仕事とは。その魅力とは。後編へ続きます。

企画・株式会社イースリー 文・杜乃伍真 写真・平間喬
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