【Vol.11】カメラマン・藤岡雅樹 さん(前編)

藤岡 雅樹(ふじおか まさき)

藤岡 雅樹(ふじおか まさき)

【カメラマン】

小学館写真室勤務。小学3年からソフトボールを始め、中学時代は軟式野球部に所属。高校時代は愛媛・松山商業のピッチャーとして、3年時の夏の甲子園大会に出場し、準優勝に大きく貢献した。プロを目指していたが、大学時代にケガのため断念し、カメラマンになることを決意。小学館入社後は、報道、芸能、スポーツなど、幅広いジャンルを撮影し、活躍している。

シャッターを切る前にいかに準備できているか?

シャッターを切る前にいかに準備できているか?

新聞、雑誌、Webなどスポーツを伝えるメディアは数多く存在しますが、そこで必要不可欠となるのが写真です。ときには言葉以上の影響力を与えることもあります。そういったアスリートたちが発するメッセージを1枚の写真で表現し、読者に伝えるのが、カメラマンという職業です。

「シャッターを切る前にどれだけ準備ができているか。おそらく、シャッターを押す瞬間には、自分の中ではもう画がかたまっていて、あとは最終的な行為だけ。そこに至るまでに、自分が持っている技術や発想、経験をどれだけ生かせるかがポイントになってきますね。どれか1つだけではなく、現場の雰囲気や被写体の機嫌など、様々な面に気を配りながら撮影に入ることを大切にしています」

そう話すのは小学館写真室に所属し、スポーツはもちろん、芸能、報道など、様々な分野で活躍している藤岡雅樹さんです。

現在はカメラマンとして第一線で活躍する藤岡さんですが、実はプロ野球選手を目指し、大学までピッチャーとして活躍していました。高校時代は松山商業で、夏の甲子園大会にも出場、決勝で惜しくも奈良の天理に敗戦しましたが、エースとしてチームを準優勝に導いた輝かしい実績も持ちます。

「小学3年生でソフトボールを始めたことがきっかけでした。甲子園大会は、テレビ観戦はもちろん、2年に1度ぐらいは現地での応援もしていましたし、自分も“いつかはここで野球がやりたいな”という強い憧れはありましたね。特に荒木大輔さんが好きで、よく投げ方を真似していました。荒木さんは高校1年生の時に甲子園で準優勝されて一躍スターになったのですが、本当に文句なしにカッコよかった。荒木さんの存在もあり、自分も甲子園のマウンドで投げたいという思いは徐々に募っていったように思います」

とにかくきつかった高校時代が、今の自分を作ってくれた

とにかくきつかった高校時代が、今の自分を作ってくれた

軟式野球部に所属していた中学時代は、居残り練習をすることもなく、そこまで必死に練習した記憶がないと苦笑いする藤岡さん。それでも『甲子園出場の夢』が決して消えることはありませんでした。高校は名門・松山商業へ進学。藤岡さんを待ちうけていたのは、試練でした。

「入学直後は、3年生との体力の差が歴然としていて、全然ついていくことができなかったんです。正直、こんなところで野球をやるのか?とも考えたくらいです。それでも、とりあえずやり続けるしかなかった。自分を限界まで追い込むことを毎日積み重ねるしかなかったんです。練習が限界に近づき、どんなに音をあげそうになっても、本気で辞めたいと思ったことはありませんでしたね」

平日は早朝ランニングに加えて、放課後4〜5時間の練習。寮に帰宅し食事をとった後もシャドーピッチングを行うなど文字通り野球漬けの生活でした。そんな日々から逃げ出したくなることはなかったのでしょうか。

「やっぱり16〜18歳の子どもですし、なんとなく逃げ出したくなる弱い気持ちはありましたよ。毎日その“弱い気持ち”との葛藤でした。それでも逃げ出さなかったのは、大きな目標があったからこそですし、それを達成するためにどんなことにも我慢できましたね。当時の監督がよく言っていたことがあるのですが、それは『目的と目標は違う』ということ。目的は松山商業で3年間野球をやり抜くこと、目標は日本一になることだと。いつもその言葉を心の中に秘めていて、たとえば走っているときなんかにも、力を抜くことなく、“あと1本走れば!”という気持ちで走っていました。まだまだ人間的にも未熟なので、どうしても弱い気持ちのほうが大きくなっていってしまうじゃないですか。それに負けないために、高い目標をあえて設定していました。もちろん、必ず達成できるわけではないだろうけど、そこに近づくためには、高い目標でなければ、越えていくことはできないのじゃないのかな、と」

目標が高いからこそ、自分を高めることができる

目標が高いからこそ、自分を高めることができる

藤岡さんがそう強く思えるようになったのは、ある対戦がきっかけになったといいます。

「高校2年の秋季大会ですぐに負けてしまったのですが、対戦相手だった東洋大姫路には長谷川(滋利・エンジェルス、マリナーズなど大リーグでも活躍)さんがいて。そこで自分たちが日本一を目指すには、まだまだ足りないんだなと自覚することができたと思いますね」

敗戦後、その悔しさを胸に一層の練習に励んだ藤岡さんをはじめとする松山商業ナイン。その影響もあり、地元・四国の選抜大会出場校や明徳義塾(高知)など、強豪校との対戦にも順調に勝利を重ねます。結果がついてきたことで、藤岡さんはもちろん、チーム全体に芽生えてきた、「これなら勝てるんじゃないか」「夏の大会はいいところまで行ける!」という大きな手ごたえ。“自信”という大きな武器を手にした松山商業は、夏の甲子園大会でも快進撃を続け、準優勝という結果をつかんだのです。

「当時はやはり悔しさの方が大きかったですよ。しばらくは“決勝で負けた”という感覚のほうが強かったように思います。今になって自分たちもまあまあすごいことをやったんだなとようやく感じるようになりましたけどね。今年の夏の甲子園大会決勝をテレビで見ながら、“ああ、自分たちはあの場所にいたんだ”と思うと感慨深いところもあります」

高校卒業後、大学に進学して野球を続けた藤岡さんでしたが、その後、大きな転機を迎えることになります。カメラマンという道に進むようになったきっかけとは?後編へ続きます。

企画・株式会社イースリー 文・石井宏美 写真・平間喬
プライバシーマーク