【Vol.4】牧野講平トレーナー(後編)

浅田真央選手との出会いと挫折

浅田真央選手との出会いと挫折

アメリカでNFLの選手と接し、将来はトップアスリートのトレーナーになるのだと決意した牧野講平さん。日本に帰国したあとは、どのような過程で現在に至ったのでしょうか。

「日本には何のつてもなかったのですが、とにかく熱い思いをもってトレーナーの仕事を探しました。そしてたまたま今の会社に採用されたのがすべてのきっかけです。ただし、最初からトップアスリートを見られたわけではなく、当然、下積み時代もあります。当時は北海道や名古屋などで高校の野球部やバレー部、卓球部、陸上部などの学生を見ていました」

数年の下積み時代が続いたある日、社内でフィギュアスケートの浅田真央選手をサポートするプロジェクトが創設されると、念願が叶って牧野さんが指名されます。しかし、牧野さんはすぐに挫折を味わってしまいます。

「僕がトレーナーとして帯同した最初の大会で思うような結果が出ませんでした。そのときに彼女に『今までのやり方を変えたから結果が出なかったんだと思います』とはっきりと言われてしまって……。それで立場が逆転してしまいました。僕がそれまで見てきた学生たちは何でも僕の言うことを素直に受け入れてくれました。でも、彼女は彼女のやり方ですでに世界チャンピオンになっていて確固たるものがあった。僕が十数年で積み上げてきたものが一瞬で崩れ去る思いでした」

選手とともにオリジナルの教科書を作っていく

夢にまで見たトップアスリートのトレーナーとしてのデビュー戦で、失意のどん底に落ちた牧野さん。それからは再び必死になって勉強に努め、自分の考えをもう一度深めていったそうです。

「それまでは筋力の強さやパワーを求めて指導していたのですが、フィギュアスケートという種目に合わせて指導する視点を変えたのです。身体や筋力を大きくしなくてもパフォーマンスを上げるにはどうしたらいいのか? そんなふうに考えるようになって、もう一度解剖学や生理学、バイオメカニクスなどを自分なりに勉強し直してトレーニングをがらりと変えました」

それから少しずつ信頼関係ができていきます。牧野さんは、日々勉強しながらも常に結果を求められるアスリートたちと接する月日をこう振り返ります。

「トップアスリートは感覚を大事にする選手がとても多いので、その感覚を聞きつつ、僕らが客観的にとったデータから理想と思われるものを提示する。そんな作業の連続でした。たとえば、どれくらいのスピードで、どんな角度で入れば、トリプルアクセルを成功できるのか。そうやって選手が成功するためのオリジナルの教科書をつくっていくのです。そのためにも、相手が言うことは絶対に否定しないで、それでも間近で見ている人間として、良いときは良い、悪いときは悪い、とはっきり言えるような関係を心がけていました。だからこそ、ともに闘っている感覚があったし、僕にとっても貴重な経験になりましたね」

トレーナーとして充実感を感じるのはやはり選手が結果を出した時だといいます。

「トップアスリートは世界一しか認められません。2位では負けたと言われてしまうもの。そういう選手たちとともに歩んで、世界選手権やワールドカップで頂点を獲れたときの喜びや感動は言葉にならないほどです」

日々やるべきことを着実にこなす選手が活躍できる

日々やるべきことを着実にこなす選手が活躍できる

これまで何人ものトップアスリートと間近に接してきた牧野さん。その経験から導かれた現役部活生へのアドバイスがあるそうです。

「世界で息長く活躍している選手は、自分はこれを練習しないと勝てないんだ、という強い思いをもって、自分がやるべきことを日々着実にこなしています。逆に、たとえ一流と言われる有名な選手であっても、“練習をやらされている”選手は試合中に集中力を欠いてしまうので選手生活を長続きさせることができません。これは僕自身が中学生のときに恩師の言葉で変わった経験でもありますが、成功したいと思うのならば、本来の目的を理解して、やるべきことを日々淡々と実行に移すことが重要だと思います」

また、ケガの予防という観点からこんな助言をしてくれました。

「部活動生は筋肉を使いすぎてケガをするケースが多いので、練習前後のストレッチなどを欠かさないでほしいのです。練習は一生懸命でもストレッチなどの身体のケアをおろそかにしている場合が多いと思います。近くの整骨院や鍼灸治療院に行けば三百円ほどで観てくれます。それだけで自分がもっと強く、息長く選手として活躍できると思って、自己投資することも考えてみてください」

さらに「ケガをしてしまってライバルに差をつけられる」と悩んでいる選手にはこんなアドバイスを伝えたいそうです。

「ケガをしてもできることは山ほどある、ということです。全身をケガしている選手はいないはずです。肩が痛いくらいならば走れるし、スクワットはできます。トップアスリートは常に身体の一か所や二か所は痛いもの。それでもギリギリのところで闘おうとするので、逆にトレーナーがついていないと身体を壊してしまうほどなのです。大事なのは日々のトレーニングに向かう根本的な意識にあるのだと思います」

日本人が持つ繊細さはトレーナー向き

日本人が持つ繊細さはトレーナー向き

最後に、牧野さんに今後の夢を伺うと、トレーナーという職業の可能性を語ってくれました。

「トップアスリートと仕事をするトレーナーの数をもっと増やして、結果として日本のスポーツの強化に貢献して、たくさん日の丸を掲げられるといいなと思っています。そのためにはトレーナーという職業をもっとメジャーにしたい。実は、日本人の持つ繊細さがトレーナーという職業には向いているんです。欧米人には見られない細かい部分まで日本人には見られる。サッカーのACミランや、メジャーリーグのレッドソックスやマリナーズでは日本人のトレーナーが球団に抜擢されて活躍しています。今後はもっと、日本人のトレーナーはすごいんだぞ、ということを世界中に広めていきたいです」

日本人にとって無限の可能性がある職業といえるトレーナー。
かつて牧野さんは見知らぬアメリカという地に渡り、その道を切り開きました。
何事にも恐れずにチャレンジする姿勢、挫折から這い上がる強い心、日々学ぼうとする向上心。
それらが小学生のときに抱いた夢を実現させたと言えるのではないでしょうか。

企画・株式会社イースリー 文・遠藤由次郎 写真・末吉保乃香

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