【Vol.12】カメラマン・藤岡雅樹 さん(後編)

とにかく懸命に取り組むことで開かれた、カメラマンの道

とにかく懸命に取り組むことで開かれた、カメラマンの道

プロ選手になることを目指し、高校卒業後は大学に進学し、野球を続けた藤岡さんでしたが、1年生の秋、ケガのために夢を諦めるという苦しい選択を迫られることになりました。

「まったくボールを投げられないほど肩がひどい状態でした。アメリカで手術をするという話もあったのですが、僕自身がどうしても踏み切ることができなかったんです。ケガをしている箇所がひじであれば、まだ可能性はあったのかもしれませんが、当時はまだ肩にメスをいれて復活した人を見たことがなかったんです。それで、いろいろなことを考えてしまって。手術も、プロになる道も、そこで諦めたんです」

大学の野球部を退部し、途方に暮れる時期もありました。それまで野球に費やしていた時間はすべてアルバイトの時間になったといいます。しかし、2年ほどたったころ、このままではいけないと危機感を抱き、一念発起。以前から興味もあり、高校時代にもチームメイトや友人をよく撮影していたカメラを職業にしようと考えたのです。

「中学生くらいの頃から写真を撮ることが好きだったのでやってみようかな?と思い、とりあえず、カメラマンの名刺を作ったんですよ。大胆なことをしましたよね(笑)。ほかにやることもなかったですし。もう、“カメラマンとして生きていくしかない”とその時、自分に言い聞かせていたような気がします。最初の仕事はアイドルのコンサートの撮影でした。なんだかわからないまま撮っていましたが、一生懸命にやったことだけは相手にも伝わったようで。もし、あの時、いい加減なものを撮影していたら、カメラマンとしてスタートを切れていなかったかもしれません」

立ち止まって自分を冷静に見ることも大切

立ち止まって自分を冷静に見ることも大切

写真の専門学校に通って学んだわけではありませんが、常に考えながら撮影することを心掛けていたと言います。必要な技術はすべて自ら経験し、そこで習得してきました。もちろん、時には頭が真っ白になるような失敗もありましたが、それも肥やしにして腕を磨いてきたのです。

そんな藤岡さんがこれまでお仕事されてきた中で印象に残っているのが、上祐史浩氏逮捕時に発生した、オウム真理教の南青山・教団東京総本部前での発砲事件だったそうです。

「この時は自分が撮影している真後ろで発砲が聞こえたんです。銃声を聞いた瞬間は驚きましたが、次の瞬間、脚立から降りて、そちらの方向に顔を向けて撮影している自分がいて。カメラ1台持っているだけで、こんなにも変われる、変わってしまうんだと思うと、少し自分が怖いなと感じました。その時に、カメラを持っている自分とは別にもう一人、冷静な自分がいなければと痛感しましたね。どうしてもカメラを持つと熱くなってしまうというか、ものごとを引いて見られなくなる部分がありますから」

部活を通して一生の友達を

部活を通して一生の友達を

野球部で活躍し、その経験を現在のお仕事にも生かしている藤岡さんだからこそ、今、この年代でしか得られない貴重な財産を大切にしてほしいと願っています。あらためて部活生にエールを送ってくれました

「多分、毎日苦しい練習を行っていると思いますが、つらい時こそ“ここでもうひと踏ん張りしよう”とか、“今日は腹筋50回したから、明日は51回にしよう”など、本当に少しずつでいいので、毎日コツコツ積み重ねてほしいですね。それができる人は何かしらを得ることができると思うんです。また、頑張ったり、壁を乗り越えたりするのは最終的には個人という部分はありますが、1人の力ではやはり限界がある。だからこそ、信頼できる仲間を一人でも多く作ってほしいですし、仲間の大切さを実感してもらいたいですね。お互いが相手を思いやる気持ちを持っていれば、自然と心はつながってきます。より深い絆を深め、一生の友達を作ってください」

人生には悩みや壁が立はだかり、ときには、どうしても夢を
あきらめなければならない状況が襲いかかることもあります。
しかし、どんな時もポジティブに、前を向いて歩き続けることが、
次の活路を見出すのかもしれません。

企画・株式会社イースリー 文・石井宏美 写真・平間喬

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