【Vol.10】体育教師(審判員)・須黒祥子 さん(後編)

突如訪れた五輪の舞台で笛を吹くチャンス

突如訪れた五輪の舞台で笛を吹くチャンス

教員として深くバスケットボールに関わってきた須黒さんには、五輪の舞台などで華々しく活躍する国際審判員としてのもう一つの顔があります。

「教員を目指していた大学時代に『将来教員として監督をするなら審判の資格は必要だよ』と言われてお手伝いをしたのがきっかけです。正直にいえば、初めは高校生の男子に怒鳴られたりもしたし、あまりやりなくなかったんです(笑)。でも、先輩の指導者が集まる会合などに呼ばれるようになって、徐々にネットワークも広がって、それが次へとつながりました」

須黒さんは審判としても持ち前のリーダーシップを発揮。経験は浅いながら、何事にも動じない試合の裁きぶりを見せていると「面白い先生がいるぞ」と指導者たちの間で話題になったそうです。

「最初は見る人が見たら、はちゃめちゃだったと思いますよ(笑)。でも、そうこうしているうちにアテネ五輪で笛を吹くための国際審判員の試験を受けることになったんです。そのときはマレーシアの男子の試合の主審を担当したのですが、男子選手たちがひるんでしまうくらい、ゲームの流れなど何も考えずに思い切って笛を吹いてしまったんです(笑)。そういう思い切りの良さが評価されたことと、当時、バスケットボール界で『五輪にアジアから女性を』という時代背景があったことも追い風になり、五輪で審判を担当するチャンスをいただけたのだと思います」

迎えた2004年のアテネ五輪の舞台は、まさに無我夢中だったと須黒さんは振り返ります。

「いま思えばもったいなかったですよね。もっと経験を積んだうえで笛を吹きたかった。緊張する余裕もないくらい、あっという間に過ぎ去った3週間でした」

審判の考え方を軌道修正する発端となる大失敗

審判の考え方を軌道修正する発端となる大失敗

そんな須黒さんも、審判としてのスタンスの軌道修正を迫られます。アテネ五輪の大舞台を経験し、審判として自信もつき、周囲からも認められていた時期に、インターハイの大事な試合で大失敗をしてしまうのです。

「周りの目もあったし、自分の力を出さないと、と思って迎えた試合でしたが、ペアを組んだ審判の方が、すごくテキパキした方で、試合直前のテーブルオフィシャル(試合の記録係)の方との確認などを全部やってくださったことで、私の出る出番はないな、と気後れしたままゲームに入ってしまったんです。そうしたら会場の雰囲気に飲まれてしまい、最後まで自分が思ったように笛が吹けなかった。悔しくて、ロッカールームで泣いたのはあのときが最初で最後です」

二度と同じ思いはしたくない。その思いが須黒さんを奮い立たせます。

「どんな環境であっても自分の力を発揮しないとトップレベルでは許されません。そのとき改めて自分がすべきことを整理したんです。一番大事なことは人に左右されないこと。ペアを組む審判の方がどうであれ、自分は自分のペースでやるということを肝に銘じました」

それからは精神的に余裕が出てきたこともあり、笛の吹き方も少しずつ変わっていったといいます。

「昔はベンチで指導者が怒っていると、自分までイライラしてしまっていたのですが、余裕が出てきてからは指導者の気持ちも受け止めることができるようになり、笛の吹き方に強弱をつけられるようになったんです」

ファウルの取り方をコントロールすることで審判が試合をコントロールする。それはバスケットボールやサッカーなどのゴール型のスポーツの審判が使う、ゲームコントロールの手法だといいます。その経験は、海外の試合を吹く際にも活かされました。

「国際舞台で日本人選手と海外選手との“沸点の違い”を感じることができたのは審判として大きな経験でした。日本人はどちらか一方に偏ってファウルをとってもそれほど怒ることはありませんが、海外選手たちは激しく抗議をしてきます。その場合は、どちらに判定してもおかしくないようなファウルをできるだけ双方にまんべんなく与えるように意図的にコントロールするんです。するとイライラしている選手を落ち着かせたり、激しいけれど見応えのある試合に審判が導いたりもできます」

人に左右されずに、自分で判断して選択する大切さ

人に左右されずに、自分で判断して選択する大切さ

そうした経験を経て、須黒さんは再び選出されたロンドン五輪で見事に大役を果たします。プレッシャーをはねのけた秘訣をこう話します。

「大舞台で力を発揮するには、基本を大切にすることが重要だと思います。こんなことを言うと格好よくなってしまいますが、高校生の試合も、五輪の試合も、同じ気持ちで審判をしています。日頃の積み重ねが五輪の舞台でも必ず活きます。高校生の試合のなかで『いまのジャッジでは国際舞台ならばトラブルになる可能性があるな』などと常に考えながら笛を吹いていますね」

審判としてのキャリアを切り開くなかで得た経験は、そのまま生徒たちへの指導にも活きているといいます。

「大会の一回戦や二回戦でできないことは、関東大会出場を決めるような大一番ではできないと、生徒たちには繰り返し伝えています。緊張にはどう対応したらよいのか。緊張しないのならばどうすれば程よい緊張感が持てるのか。一人ひとりがまずは自分の特徴を知ることが大切だと。それぞれが自分の課題に対処し、何も言わずとも生徒が自分で判断し、良い方向に歩んでいるときが一番うれしいんです」

まさに現役部活生とともに日常を歩んでいる須黒さん。最後に彼・彼女たちへアドバイスを頂きました。

「自分の考えをしっかり持って周りに左右されないことが大切です。辛い練習をしているときに、隣で楽をしている選手に流されてしまうのか、それとも励ますことができるのか。その違いはチーム全体にも影響を与えてしまうほど大きな差につながります。自分をしっかりと律して行動ができれば、人として成長できるし、勉強もできるようになるし、バスケットボールもうまくなります。そしてもう一つ、周りの人たちの意見を聞きながら自分自身で判断し、選択をしてください。周りに左右されないしっかりとした自分がいれば、自分のなかにぶれない大きな柱をつくることができると思います」

企画・株式会社イースリー 文・杜乃伍真 写真・平間喬

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