【Vol.8】サッカー代理人・西塚定人 さん(後編)

運命的な中村俊輔選手との出会い

運命的な中村俊輔選手との出会い

横浜Fマリノスでマネージャーを務めていたとき、西塚さんは運命的な出会いを果たします。西塚さんの心を動かしたのは97年に加入した中村俊輔選手でした。

「当時のマリノスはバルディビエソやフリオ・サナスといったアルゼンチンの選手たちに加えて、日本代表クラスの選手たちをずらりと並べる陣容でしたが、そのなかでも(中村)俊輔が一際目立っていました。彼のドリブルの切り返しにみんなが翻弄されるんです。現在、この会社を共同で経営しているロベルト佃とも当時よく話を交わし、『日本人の持っている技術は海外でも通用する』という確信がありました。そして僕らは俊輔を海外で活躍させてみたいなと思うようになったんです」

時は2002年日韓ワールドカップを控えた時期。その2年ほど前から西塚さんとロベルト佃さんは海外移籍の代理人業務を主とする会社設立の準備を始めました。その後、2001年にJリーグMVPを獲得した中村選手は、日韓ワールドカップの代表メンバーから落選してしまいます。

「2002年に本人から契約の意思を伝えられたんです。海外で挑戦したいんだと。中田英寿さんがすでにイタリアで活躍していて道は切り開きつつあったので、当時世界最高峰の選手たちが集うイタリアのセリエAにあえて挑戦しました。そこで活躍して、世間を見返してやろうと」

中村選手の身の回りのケアをこなして負担を軽減

中村選手の身の回りのケアをこなして負担を軽減

中村選手がセリエAのレッジーナに移籍し、挑戦が始まりました。西塚さんは当初、イタリアで中村選手と同居しながら、すべての身辺のケアをこなしていきます。

「この会社では基本的にロベルト佃が移籍交渉をするのですが、それ以外の仕事も多く、そのケアをしっかりやるべきだと僕らは考えていたんです。海外移籍をすれば、自宅の確保、免許の取得、口座の開設や税金の支払い、やることがたくさんあります。当時は右も左もわからない状況で飛び込んだので、そのようなピッチ外のことを僕がすべて引き受けました。選手本人に余計なストレスを感じさせず、100%の力をピッチ上で出せるよう、プレーに専念してもらうのが重要だと考えたのです。

しかし、ビザの関係もあり、イタリアと日本を行ったり来たりの日々でした。現地で俊輔が日本食を食べたいと思っても全然なくて、あったとしても『上海』や『香港』といった店名の“いかにも”な中華料理だけ(笑)。だから、帰国するたびに米を大量に運んだりしながら移籍当初の慣れない生活を何とか乗り越えたんです」

中村選手はその後、西塚さんらの献身に応えるように、レンタル移籍したレッジーナで5ゴールを挙げるなど活躍。クラブから完全移籍で獲得したいとの大きな成果を勝ち取ります。これにより西塚さんの会社には中村選手の跳ね上がった年俸からエージェントフィーが入り込み、ようやく会社は軌道に乗りました。当時の苦労を振り返り、西塚さんはこんな話をしてくれました。

「会社を設立したり、代理人の資格を取ったりするのにも数千万円のお金が必要で、その資金をかき集めるのにもかなり苦労しました。当時は代理人業務というのは日本にほとんど浸透していない時代でしたから、それ儲かるの? という反応ばかりで……。ようやく資金を手にしても、成功するかどうか不安は常にありました。ただ、それで失敗しても、ロベルトと一緒に昼夜、力仕事などをして頑張れば借金も返せるだろうと。当時僕らはまだ二十代だったので若さゆえの勢いとチャレンジ精神がありました。あれこれ先に計算をして考えていたらできなかったと思います」

自分の道を切り開くにはまず行動を起こすべき

自分の道を切り開くにはまず行動を起こすべき

現在、西塚さんの会社には、中村選手以外にも、サッカー日本代表の長友佑都選手、岡崎慎司選手、西川周作選手など20人ほどの選手たちが在籍するほどまで成長しています。西塚さんは「トップアスリートたちの、他人から学ぶ姿勢、その向上心の強さにいつも刺激を受ける」といい、だからこそ彼らを全力でサポートしたいという思いが強まるのだといいます。

「うちの会社で契約する選手は20人が上限。理想はカウンターのある寿司屋です。すべてのお客さんを見渡せて、全員に気配りが届く範囲で経営をするのがコンセプトなんです。所属している選手たちの試合は毎年600試合ほどありますが、すべての試合をみて、試合後には必ずLINEなどで一言メッセージを添えてコミュニケーションをとりますね。ここにいる選手たちにはファミリーと感じてもらえるようなサポート体制をして、いずれは選手たちのセカンドキャリアも含めたトータルのサポートができるようになりたいんです。

今後彼らが引退して、指導者になる。その指導から育った選手たちがこの会社で契約して活躍するサイクルをつくれるといいなと。時間はかかるかもしれませんが、そういう新たな道を切り開いていきたいと思っています」

最後に、これまでの経験から現役部活生へ伝えたいことがあると西塚さん。

「僕は大学時代にマネージャーを経験して、それが何となく自分に向いているような感覚がありました。それを頼りに進んでいったからこそ今があると思っているんです。いま、やりたいことを探している若い人がとても多いと思いますが、これは自分が向いているかもしれない、というちょっとした感覚を頼りに突き進んでみることも大切だと思います。なにかアクションを起こすから次にやるべきことが生まれる。その繰り返しから徐々に自分の道は見えてくるもの。何も行動を起こさないのはダメです。最近はそういう若い人が増えているような気がするので、ぜひ、まずはひるまずに常に前へ進み、自分から道を切り開く姿勢を持ってもらえるとうれしいです」

チャレンジが切り開く未来。
未来の可能性を広げるヒントは、常に、その人の心のなかにあります。

企画・株式会社イースリー 文・杜乃伍真 写真・平間喬

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